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差別と言うもの

カレーとご飯の神隠し◆私が人権擁護法案に反対する理由
に反応。昔話とか、常々思っていることとか。

そのエントリで、カリー氏はこう書いている。

私はその「特別扱い」が差別を生んでいると思うんですよ。 何で特別扱いするんですかね。どうして法を作って守ろうとするんですか、救おうとするんですか。 彼等には優しく接しなきゃいけないのでしょうか? 使う言葉を選ばなきゃいけないんですか?

普通に接することが一番大事なことじゃないですか。行政上の優遇サービスや、雇用などで必要な処置があるのは分かります。
でも人権擁護法なんて作ってまで”守ってあげる”必要があるんでしょうか。議論を通じて「この人達は法案で守られる特別な人達なんだ」って感じる人が既にいるわけですよ。
それが差別を生む温床になっているわけですね。

昔話になりますが
俺が初めて”部落差別”というものを知ったのは、小学生の時だった。
狭山事件の再審要求に関連してだったと思う。

ある日突然朝礼で、数人の級友たちが何事かを主張し始めたのである。
その後教室に戻ってホームルームですよ。
その時初めて、彼らがいわゆる被差別部落民であることを知った。

子供心に思った。率直に。「部落差別のことを詳しく教えなければ、差別は自然に減っていくのでは?」と。
その時は「ちゃんと知っておかないと、差別的な人から教えられたとき差別する側になってしまう危険性が高い」からだと説明された。
その時は「そんなものかな」と思ったが、結局今でも納得していない。
何か欺瞞があるような気がする。
それが何かを追求する気は無いけど。
例えば今、あるグループについて負の情報を与えられて、低俗なレッテル貼りをされたとして、具体的に嫌悪感を催す言動をしている事実が無ければ、そのグループを嫌悪することは無いと感じる。
強いて言えば、それが根拠だ。

部落については、それ位の関わりしかないので、言えることはそんな遠い記憶だけである。

身体障害者についてならもう少し語るべき内容がある。
自分自身が一種の障害者でもあるからだ。

ただし軽いものなので、俺の外見や動きを見てマヒがあると分かる人は少ないと思う。
故に障害者として特別扱いを受けることも、今はまず無い。

実際、「ほとんど特別扱いされない障害者」は相当数いる。
たとえば近視の人だ。
近視に限っていえば、「眼鏡が無いと日常生活に支障を来す」レベルの人がゴマンといる。
ところが、眼鏡で視力矯正できる限り、彼らが障害者として扱われることは無い。

それは、「普通にまわりに居過ぎる」という、数の問題であるということなのだろう。
定義からすれば、立派な身体障害者に入れて良いと思えるのだが、「席順が前の方になる」以外の特別扱いを、俺は見たことが無い。

が、なじみの薄い障害の場合、人は気を使いすぎたり、特別扱いをしてしまいがちだ。

例えるなら「足が不自由な人のために、手話で話し掛ける」ようなことをすることだってある。
自分の力ではどうにもならない事、苦痛な事に関して手伝ってもらえるのは、感謝すべきことだと思う。

でもきっと、それ以外については「普通に」扱われるのが、障害者にとっては一番ありがたいんじゃないだろうか。

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